磯 琉球人松

この絵葉書は、現在も鹿児島市天文館にて営業している画材店「集景堂」の前身が発行したもの。 以前、絵葉書が残っていないかお尋ねしたところ災害に見舞われた際に水没してしまったとのこと。 カラー化してみました。 左に見える土の道路は現在の国道10号線である。

0019-天保山より桜島を望む

我は海の子白波の。。。 『われは海の子(我は海の子)』は、1914年(大正3年)刊行の「尋常小学唱歌」第六学年用に掲載された文部省唱歌であるが、歌詞は鹿児島市出身の宮原晃一郎(1882-1945)の詩。鹿児島市の祇園之洲公園には歌碑が建てられている。

磯祇園の洲

この場所は祇園之洲公園となっている。一体は埋め立てられ整備されている。公園の一角には鹿児島市出身の宮原晃一郎(1882-1945)の詩『われは海の子(我は海の子)』は、1914年(大正3年)刊行の「尋常小学唱歌」第六学年用に掲載された文部省唱歌で歌碑が建てられている。

山川港上空より開聞岳を望む

手前が山川港 湾に沿って国鉄指宿枕崎線の線路が続く。現在も単線で電化されていない。写真でも分かるように、山に沿っているため少し雨が降ると運休になる。また、倒木による運休も頻繁である。 指宿枕崎線は、ジェットコースター並みに揺れる。

東郷平八郎君誕生の地

東郷平八郎は弘化4年(1848年)12月22日、加冶屋町二本松馬場の薩摩藩士の家に生まれた。本来の誕生地は県立鹿児島中央高等学校の敷地内にある。 銅像は鹿児島県鹿児島市清水町 多賀山公園の頂上に、錦江湾を睨むように建っている。 昭和32年岡山県郷土館から移設されたもの。